ライブドアのブログ作成画面がなんか変わった気がする。何となく爽やかだ。
公式怪文書verハロウィン。
………しょっぱい。
前回のネゲヴみたいな別格の怪文書性もなければ、質、量揃ったプレゼントもない。まあいちいちそんなの求めても仕方ない気は。
…しかし何なんでしょうね、ハロウィンってのは。wiki先生曰く「秋の収穫を祝い、悪霊を追い払う古代ケルト人の祭りが元になった」とありますが、ケルト人も渋谷の惨状を見ると頭を抱えることでしょう。いや寧ろ喜ぶかもしれないな。
仮装とは、本質的には仮面を被ること。これは本当の自分を覆い隠し、偽りの存在を演じるという行為に他なりません。古代より人間は仮面を被る、獣の皮を纏う、顔にペインティングを施すなど、多様な方法で「仮面」を被り、場に応じていろいろな存在を演じてきました。
その集大成が渋谷でのあれというのなら、それもまた必然なのでしょう。現代人はSNSという、考え得る限り最高のマスキングを手に入れました。ですが一方で、それは現実世界においては何の意味もない、ただ虚構の世界でしか機能しないという致命的な問題を抱えてもいた。
そのために、SNSというツールは完璧に自己を偽れる仮面でありながら、決して現実を変えられない。あくまで人間の存在する場所は現実であるというのに、SNSという偉大な発明は、現実に直接影響を与えることができない。SNSでは自分を変えられない。
そんな何百万、何千万、何億の仮面の下で澱のように蓄積していった鬱屈が、耐え切れなくなって遂に現実に溢れ出した、それがハロウィンの渋谷であり、数千もの奇形じみた「仮面」で溢れかえるスクランブル交差点なのかもしれない。
そしてそうだとすれば、この終末的な百鬼夜行はあくまで始まり、ほんの触りに過ぎないということではないだろうか。渋谷に開けられた穴に沿って秩序が脆化していき、いつしかハロウィンという枠すら越えて、騒ぎは世界中を、様々な形で呑み込んでいくのでは………。
まあここまでくると最早MMRの世界観ですけどね。ただの寝惚けた青二才の妄言と捉えて頂ければ。
それにハロウィンなんて、田舎には関係ない。誰も仮装なんかしないし、お菓子をねだる子供も表にはいない。そういうもんです。これもまた、現代社会の一側面。